たたみの匂いは落ち着くのです。

かなりゆるーく思ったこと・感じたことや調べたことなどを書こうかと思います。。

価値観について考える

人が何か意見を言う時に、広い意味でのポジショントークは避けられないものだと思う。

今まで生きてきた経験・性格・人間関係などの基に自分が存在するからだ。

自分という主体から人は逃れることができない。


そんな中で今の世の中はいろんな人がいて、情報の行き来も激しいから、自分と全く違う意見の人を目にする機会も多い。

個人的にはビジネスの話ではない内容については、出来る限り立場上の補正を減らしていく事が人と議論を進める上で良い行動だと思う。


でも実際は、言い合いが絶えないのが実情だ。
そこまで彼らを駆り立てるものは何か。
分かり合うことはとても労力のいる事だと思う。反面、批難するだけなのは容易い。

人の行動力は有限だ。その限りあるリソースを、よく知らない人のために大量に割くのは無為だと考えればなるほどという感じもする。だけど、それならそれでそもそも関わらない方が無駄がない。

何のためにそんなことをするのか。もちろん自分も含めて。

自己顕示欲の一種か。まあ、生きてりゃ愚痴や文句も出るしそれはそれで構わないような気もする。


***

でもその発言をする時に主語を大きくするのはどういう心理からくるものなのか。
主語を大きくすることで自分の意見が少数(派)では無いと主張し、結果自分の意見を通しやすくするため?

それとも全く無自覚に「自分は普通である」と考え、だから「普通の自分」の意見は通らなければおかしいと考えているのか。

他にも可能性があるのかもしれないが、私の少ない経験では後者が多いように感じる。
と言うか前者を意識的にやっている人はそう居なさそうだと思う。


「自分の常識 他人の非常識」という言葉があるが、自分の周りに自分の価値観と大きく違う人がいない環境で育った場合に、当然のものとして大きくなった自分の価値観に疑問を持つことは難しいように思える。


私もそれ程物事を知っているとは言い難いけれど、周りが見えていないばかりに価値観の押し付けを行うのは避けたいものだ。